おにまるの墓

昭和20年9月21日 僕は仕事を辞めた

決して仕事の内容が嫌なわけじゃなかった むしろ自分でも出来る仕事で最初は天職とさえ思った

 

原因は拘束時間

その時間、実に16時間

1勤1休とはいうものの、夕方5時から16時間勤務ということは翌日朝9時まで仕事場にいなければならず、しかも翌日夕方5時からまた出勤ということは、実のところ1勤1休なんてものではなく毎日8時間勤務の休日無しだった。

深夜以降はPCやタブレット使って何してても良いし、客の対応を怠らなければ寝てても良いとは言われていたものの、客がいつ出入りするか分からない、電話がいつ鳴るか分からないという状況の中でほとんど寝ることもできず、寝不足から愛車のスイフトをぶつけてしまった(バンパー破損、テールランプの内部損傷など)

 

そういった身体的な疲労の他にも精神的にも少し嫌な部分があった。

表向きは仲良く話をしている社員達なのだが、一人いなくなるとその人の陰口を叩くような集団だった。

入社したばかりの僕はそういうことはしなかった(出来なかった)が、陰口は叩かれていたようで、僕が務めていた営業所のトップからは「無口すぎて話が続かない」「(無口すぎて)彼はこの仕事に向いていない」等と言われていたことを事務員の女性から聞かされた。別に無口でもそれは世間話などをするときの普段の僕の姿であって、客とのやりとりは定型文みたいなものがあるし関係無いのだが・・・

 

確かに僕は人見知りをする人間(コミュ障というのも原因ではある)で、付き合い始めの人とは上手くコミュニケーションが取れないということもあったのだが、営業所長は無趣味な人で、家にはテレビなどもなくゲームやスポーツをするわけでもない、ただパチスロだけは大好きという僕がコミュニケーションを取りづらいタイプの人間だった。

それなのに彼は事務員も僕に愚痴を言ってくるほどのマシンガントークを繰り広げるような人で、彼の土石流のような話に相槌を打つしか手段はなかったのだった。

 

ぶっちゃけた話、僕以外で若い人は皆無だった(若い人で30の女性が二人で、仕事上僅かなやりとりはあるが違う部門の人。むしろそのやりとりを陰で揚げ足取ってたりしてる)し、その人達と話が弾むわけもなかったし、僕が童貞ということをわざわざ掘り下げていくような人達もいたし、裏を見ていくと僕的には最低なところだった。

 

と、いうわけで、このままでは事故死してもおかしくないので、死ぬ前に辞めたのだった。すぐに辞めたとあれば社会の目(と、この仕事の紹介してくれたハローワークの目)は厳しくなるだろう。

バイトからでも派遣でも良い。とにかく車のローンやら何やらを支払うべく新しく仕事を探さなければならない。深夜に代車を飛ばしてビールを買いに行ってる場合ではないのだ。